問題提起メモ / 署名検証ビルトイン

Cardano が読めない、
二つの署名 ― P-256 と P-384

世界中の「顔認証でログイン」が使う署名(P-256)と、2029 年度に登場する次期マイナンバーカードの署名(P-384)。Cardano は、どちらもオンチェーンで検証できない。提案すら存在しない。これはその一点だけを記した、持ち運び用のメモである。

2026-07-23 確=一次情報で確認/推=推論/未=未確認 全体版へ

Cardano には、パスキーと公的 ID が実際に使う署名方式を検証する能力がない。技術的に不可能なのではなく、追加する提案が一件も書かれていない。

この一枚は、事業計画ではない。開発者に渡すため、あるいは CPS/CIP の種にするための、事実だけを固めた問題提起にあたる。

01 / 現状

Cardano が検証できる署名、できない署名

Plutus(Cardano のスマートコントラクト)が、オンチェーンで検証できる署名方式は、2026 年 7 月時点で次のとおり。

署名方式Cardano で検証根拠
Ed25519できる標準のトランザクション署名
ECDSA / Schnorr(secp256k1)できるCIP-49(Active)。Valentine で追加。Bitcoin/Ethereum 互換のため
BLS12-381 ペアリングできるCIP-381(Active)。Chang で有効化。ZK 検証に使う
RSA(べき剰余)できるCIP-109 の exp_mod_integer2026-07-18 の Van Rossem で有効化
ECDSA(P-256 / secp256r1)できないビルトインなし。提案なし
ECDSA(P-384 / secp384r1)できないビルトインなし。提案なし

「提案なし」は空想ではない。cardano-foundation/CIPs、IntersectMBO/plutus、cardano-ledger の三つのリポジトリを検索し、secp256r1WebAuthnpasskey のいずれもヒット 0 件だった。ただしこれは Issue/PR の本文までの検索で、Discord やフォーラムのコメント内までは追えていない。「主要な一次ソースを探した範囲で見つからない」が正確な言い方にあたる。

署名方式の系統 ― どこに穴があるか
電子署名
├─ RSA ─────────── 現行マイナンバーカード   … CIP-109 で対応済み(7/18〜)
└─ 楕円曲線
    ├─ Ed25519 ─── Cardano の標準署名          … 対応済み
    └─ ECDSA
        ├─ secp256k1 ─ Bitcoin / Ethereum       … CIP-49 で対応済み
        ├─ P-256 ───── パスキー・WebAuthn        … ★ 穴
        └─ P-384 ───── 次期マイナンバーカード     … ★ 穴
02 / 需要

二つの穴は、性質が違う

まとめて「P 曲線が無い」と言えるが、P-256 と P-384 は、必要とされる理由が別である。ここを混ぜると論拠が弱くなる。分けて書く。

P-256 の理由

パスキーが、これで署名する

Face ID/Touch ID、Apple Secure Enclave、Android Keystore、YubiKey、WebAuthn ―― 現代の「生体認証でログイン」は、ほぼ全て P-256 を使う。パスキーをそのままウォレットの操作資格にしたければ、これを検証できる必要がある。需要は今、そこにある。

P-384 の理由

次期マイナンバーカードが、これに移る

デジタル庁「次期個人番号カードタスクフォース 最終とりまとめ(案)」(2024-03-18)は、公開鍵暗号方式を ECDSA 384、ハッシュを SHA-384 とする。提供目標は 2029 年度。現行の RSA から移る。需要は、期限付きで将来にある。

この区別が、論拠を正確にする

P-256 は「競争の穴」―― 他のチェーンはみな持っていて、Cardano だけが持っていない(次節)。P-384 は「期限の穴」―― 他もほとんど持っていないが、日本の公的 ID が 2029 年に必要とする。片方は横並びの遅れ、もう片方は締め切りのある要件。どちらも埋める理由になるが、理由が違う。

03 / 競争

P-256 を、他のチェーンは既に持っている

P-256 については、Cardano は明確に出遅れている。主要チェーンは実装済みである。

チェーンP-256 検証詳細
Ethereum L1ありEIP-7951(Final)。2025-12-03 の Fusaka で有効化。6,900 gas
Ethereum L2ありRIP-7212(Final)。Polygon(2024-04)、Optimism/Base、Arbitrum。3,450 gas
Solanaありsecp256r1 検証の提案・対応が進む(有効化時期は要確認)
Cardanoなしビルトインも提案も無い

Coinbase Smart Wallet をはじめ、パスキーをアカウントの署名者にするウォレットは、これらのプリコンパイルを使って本番稼働している。したがって P-256 については、「新機能を足してくれ」ではなく「他が全部持っているものが無い」という形で提案できる。反対しにくい論拠にあたる。

なお gas 値は Ethereum の指標であり、Cardano は費用モデル(CPU/メモリのユニット)が異なる。Cardano での実行コストは別途見積もりが要る。ここは Ethereum の数字を流用できない。

P-384 は、競争の穴ではない

正直に書く。P-384 は、他のチェーンもほとんど持っていない。各チェーンのプリコンパイルは、パスキー需要に応えた P-256 が中心である。だから P-384 を「横並びに追いつく」とは言えない。P-384 の論拠は競争ではなく、2029 年という日本固有の期限の一点にある。そこを取り違えないこと。

04 / 前例

Cardano は、同じことを一度やっている

署名方式を後から足す道は、既に踏まれている。CIP-49 がそれである。

CIP-49 が通った道すじ
Ed25519 だけだった
   ↓  CIP-49 を提案
secp256k1 の ECDSA / Schnorr を追加
   ↓  安全性と実装コストを検証
Plutus のビルトイン関数として実装
   ↓  Valentine ハードフォークで有効化
Bitcoin / Ethereum の署名を、Cardano で検証できるように

CIP-49 が通ったのは、Bitcoin・Ethereum との相互運用という明確な需要があったからである(公式ドキュメントもそう説明している)。P 曲線も構図は同じ ―― パスキーと公的 ID との相互運用という需要に対して、同じ道を辿ることになる。

実装の形(P-256 と P-384 を一つの CIP にまとめるか、パスキー向けの P-256 を先に、次期カード向けの P-384 を後に段階化するか)は、CIP の著者が決める領域にあたる。両者は同じ NIST の素体曲線族なので、共通の枠組みで扱える見込みはあるが、コストと安全性の審査は別に要る。

05 / 手順

まず CPS、次に CIP

いきなり CIP(解決策の提案)を書くより、先に CPS(Cardano Problem Statement =問題提起)を置くのが順序として正しい可能性が高い。

なぜ CPS が先か

現在 CPS は 21 件あり(0003〜0032)、鍵管理・復旧・認証・署名方式を主題とするものは一件も無い。最も近いのは CPS-0010(Wallet Connectors)にとどまる。つまり「Cardano は、消費者認証と公的 ID が使う署名方式を検証できない」という問題そのものが、まだ公式に文書化されていない。問題が定義されていなければ、解決策の優先順位も上がらない。CPS は実装が無くても書ける。

1CPS を書く。「Cardano には P-256/P-384 の検証手段が無く、パスキー連携と 2029 年の次期マイナンバーカード連携ができない」という問題を、期限とともに提起する。
2議論を起こす。CIP エディタ、Plutus/ledger の開発者、ウォレット事業者に当てる。需要(パスキー・公的 ID)と前例(CIP-49)を示す。
3CIP へ。合意が形になれば、ビルトイン追加の CIP として具体化し、安全性・実行コストの審査を経て、ハードフォークで有効化する。

これは CIP-38 の教訓とも一致する。あの提案は「実物のない仕様書」だけが議論の場に置かれて、後継(CIP-112)に道を譲った。問題を先に共有し、実装や実測を添えて進めるほうが通りやすい。

06 / 限界

この主張の、正直な穴

この一枚を強く保つために、弱いところを自分で書いておく。

Cardano に P-256 と P-384 の検証を足すことは、製品でも事業でもなく、基盤の穴を埋める作業にあたる。競争が発生せず、埋めれば全員が使える。そして P-384 には、2029 年という動かせない期限がある。

まず確かめること ―― 既に誰か動いていないか。次にやること ―― CPS を一本、期限を添えて書く。